シバタの歩み


シバタ建築工房/社長柴田の歩み

学生時代から将来”建築家”と決めていた

社長柴田の生い立ちから建築の世界で奮闘する今日までの経歴をご紹介。社長が自身の建築歴を振り返りながら更新しているブログは下記から。


経歴(斜体文字はプライベート)

1957 柴田誕生山口県阿武郡川上村で農林業を営む一家に長男誕生(一男三女)の期待を背負い誕生(名前は新次.重次、良次と三代次をつける)

幼稚園も行かず(みんな行っていなかった)川遊びと山遊び。
東京タワー同年に東京タワーが誕生。

1964 川上村立川上小学校入学。片道4㌔を弁当以外におにぎりを持ち通学。

川魚釣り(うなぎを夜釣り)、夏は鮎掛け。秋はアケビ取り。

1970 川上村立川上中学校入学。自転車通学だがでこぼこ道に泣かされパンク修理はお手の物。中3の夏休み蟹取で顔面やけどで1週間入院。

学校帰りに鉄棒にはまる。剣道部に入り、副キャプテンを務める。

1973 山口県立萩工業高校入学。バイクで通学(バス停まで)。大地震特需を見込み建築科を受験。

1年間剣道部に所属し、2年から柔道部へ転属(桜井健一の柔道一直線に影響)。高2で自動2輪免許取りバイトして125ccを買う。高3夏休み友人とバイクで九州一周の旅をする。友人と3人で映画を作る(ブルースリーに影響を受け)高倉健、他の任侠映画にはまる。

1976 地場ゼネコンO社(呉市)地場ゼネコンO社(呉市)へ入社。月2回日曜休み実現がスローガンの建設業。呉市、広島市、下関市、松山市、福岡市の現場を転々とする。
山登り

新田次郎の本に影響を受け山登りを始める(孤高の人)。富士山単独登頂成功(思ったよりきつかつた)。

1980 某有名ラーメン店1号等デザイン系の施工を数多く手がける。本格数奇屋建築を手がける。(屋久杉の家)

海上アルプス屋久島、宮之浦岳へ登頂(山頂で事故る)。北アルプス裏銀座コース制覇。

1988 親戚の会社がビル工事を手がけるのでとシバタ工業㈱(安佐南区)へ入社。

釣りにはまる(山陰の磯釣り)。1990年、結婚。

1991 一級建築士合格。(製図3回でめでたく)

長男誕生(新太郎)。

2006 家への更なる想い伝えるべき起業。株式会社シバタ建築工房を設立(当時49歳結構反対される)。1年目張り切り過ぎ初めて救急車で病院に行く(1泊)。

ゴルフをぼちぼち。

2010 更なる飛躍を目指し一級建築事務所登録。10月己斐SW工法モデル住宅完成。